神社参拝

神社とは何か?…. 登山と山岳信仰とは?….アルピニズムとは?….難しいことは考えず、神をお祭りする神聖な場所、趣味の範疇ですが、実際に参拝した寺社仏閣、神社が中心ですが神仏習合の時代もあり、多少は文献を参考に記載してありますが、個人的な感情が多分に加味されていますので、学術的なボケ突っ込みはご容赦いただきますようお願いいたします。どちらかというと防備録に近いのかな。

社格の名称

天社(あまつやしろ)・国社(くにやしろ)

天社(あまつやしろ)- 天神・天津神(あまつかみ)が鎮座する社。天津神は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称。
国社(くにつやしろ)- 地祇・国津神(くにつかみ)が鎮座する社。国津神は地(葦原中国)に現れた神々の総称。

官社(かんしゃ)

神祇官(じんぎかん)の帳簿(官帳)に記載された神社。官帳社ともいう。未記載の神社は未官帳社。「神」は天津神である天神を、「祇」は国津神である地祇の意で祭祀を司る。律令時代に制定された官職。

国史現在社(こくしげんざいしゃ)

六国史(りっこくし)、日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、文徳天皇実録、三代実録に記載のある神社。

一宮・二宮(いちのみや・にのみや)

国司(こくし、律令制下の地方長官)が巡拝奉幣する順位の神社。国内神名帳の記載順に巡拝するため、その順に一宮、二宮となる。その巡拝の制が衰えると各社の祭神をまとめて合祀した神社を設け、それを一宮などに充て参拝するようになる。そうした神社を総社(そうじゃ)や六所(ろくしょ)神社などという。

二十二社(にじゅうにしゃ)

朝廷へ尊崇の篤い神社に、一般の神社に優先して、臨時の奉幣や大小の祈願が捧げられた。平安時代から応仁の乱の頃まで続いた。近代になると官弊大社に列せられ大戦後廃止されたが、二十二社巡りはお薦めである。

本殿

一般に主祭神が鎮座する社殿を指す。

古来、日本の神々は八百万でした。山や石、樹木や滝など、神はあらゆる自然に宿ると考え、それ自体を御神体と見なしてきたのです。本殿ができたのは、仏教伝来後のこと。仏殿に対抗し、つくられるようになりました。

本殿のもっとも古い形式は伊勢神宮(大和朝廷が祭った天津神)と出雲大社(地方豪族が祭った国津神)の二つです。どちらの社殿も屋根は切妻ですが、拝む方向が異なります。三角形側(妻側)から拝むのが出雲大社で、この形式を大社造と呼びます。

これに対して伊勢神宮は平側から拝み、唯一神明造と呼ばれます。全国各地の社殿は、この二つの神社形式を基本に、庇を付け加えることで生まれました。

たとえば大社造の妻側拝観部分に1枚の庇を付けると春日造(春日大社)、神明造の平側に庇を設けると流造(下鴨神社、上賀茂神社)になります。平側の両サイドに庇を付けたものが両流造(厳島神社)で、平側に1枚、妻側両サイドに1枚ずつ計3枚の庇を付けたものは日吉造(日吉大社)といいます。

なぜ庇を付けたのでしょう。それは社殿の内部は神様だけの専有空間だったからです。建物の外に庇を設け、そこから拝観するという形にしたのは、神と人間との関係を内部と外部ではっきり分ける工夫だったといえるでしょう。

唯一神明造

流れ造

八幡造

大社造

住吉造

鳥居

狛犬

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